風営法改正運動の経緯 【第1回】クラブに対する一斉取り締まりと摘発 by DJ MIZUTA


2012年から始まった日本の風営法改正運動も相応の時間が経過し、その経緯や歴史的背景を理解し難い状況になりつつあると思うので、ここで整理しておこうと思います。下の「風営法関連年表」はclub NOONの元オーナー、金光さんがDOMMUNE「TALKING About 風営法」出演時に作られたものです。連載第1回となる今回は、風営法改正運動のきっかけになった赤枠部分について書きます。

風営法関連年表

■2010~2011年のクラブに対する一斉取り締まりと摘発

風営法改正運動が始まるきっかけの原点は、2010~2011年に警察が行ったクラブに対する一斉取り締まりです。年表を見ていただければわかるように、この2年間で20軒近いクラブが摘発され、各店から1~数名のスタッフが「無許可で客をダンスさせた容疑」で逮捕されました。特に大阪市中央区の、俗に言うアメリカ村のクラブに対する摘発はかなり厳しいものとなりました。

■そもそも「違法クラブ」とは何なのか?

当時の報道には、ほぼ必ずといって良いほどこんな見出しが付いていました「違法クラブ、無許可営業で摘発」。さて、ここで言う「違法クラブ」とは何でしょうか?

昭和23年に制定された風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)に「ナイトクラブその他設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客に飲食をさせる営業」という項目があります。該当する店舗は公安の許可を取得する事が義務付けられています。警察の見解によれば、俗に言うクラブはこれに該当するため、風営法の許可を取っていないクラブは「違法クラブ」であり「無許可営業」と報道されたわけです。

ここまでの経緯を聞いて「なぜ許可を取らないのか?許可を取らないのなら摘発されて当然だろう」と感じる方も多いと思います。もちろんこれには理由があります。決して経営者が怠けているわけではないのです。理由を大きく分ければ、以下の3つになると思います。

1. 風営法許可の要件となるダンスフロアの面積「66㎡」はかなり広大で、その条件を満たさない小規模店舗は、そもそも許可を取得したくても物理的に不可能。
2. なまじ許可を取ってしまうと、風営法の条文にある営業時間(午前零時まで)を厳格に守る必要が発生するので、競合店との競争、売り上げの面で不利が生じる。
3. そもそも、風営法の条文にある「ダンスをさせる」という言葉の解釈が曖昧で、現在のクラブでお客さんが踊る「ダンス」が、終戦直後に制定された風営法に記述されている「ダンス」と、同一なのか疑わしい。また「風俗営業」という言葉のイメージに対する拒絶感。

風営法には上に挙げたように適切な運用を困難にする問題点を多く内包していました。風営法が制定されたのは、終戦直後の昭和23年。そこでいう「ダンス」は、当時売春の温床になっていたキャバレーでのダンスを想定しています。要するに「風営法」は完全に時代遅れの法律になっていたのです。ですから、この時期に言われていた「違法クラブ」は必ずしも適切な表現では無かったと言えます。それは後のNOON裁判の無罪判決文でも証明される事になります。

■一斉摘発の背景と、風営法の恣意的運用

2010年末に始まった一斉摘発の背景には、大阪アメリカ村で同年に発生した「クラブ内での揉め事がきっかけになって発生した傷害致死事件」と、近隣住民からの主に騒音や狼藉(クラブから出てきたお客さんによる大声等)に対する苦情があったと言われてます。確かにこれはクラブ業界が真摯に受け止めなければならない問題だと思いますが、ここで明記しておきたいのは、それらは風営法で規制されている項目とは基本的に無関係だという事です。風営法はあくまで売春と賭博を防止する為に生まれた法律なのです。

実際は騒音や狼藉に対する苦情がきっかけであったはずなのに、風営法の条文にある「ダンスをさせた」という曖昧な基準で摘発が行われた。この法律の恣意的運用に大きな問題があると考えます。(※アメリカ村での傷害致死事件は、厳密にはクラブの外で発生しています)

■一斉摘発が招いた経済と文化の萎縮

一斉摘発は大阪だけではなく全国に拡大し、この時期だけで二十数件のクラブが摘発されました。その全てが一時閉店または完全な閉店を余儀なくされました。また逮捕された経営者は以降5年間、風営法の許可を取得する事が出来ないため、数ヵ月後に復活した店舗も、実際には経営者が変わっているのです。風営法の恣意的運用により摘発・逮捕を恐れる店をたたむ経営者が多く現れたのも無理の無い事で、実際はこれの数倍の店舗が閉店しました。つまりそれは、クラブ業界から多くの失業者を生んだ事を意味します。

アメリカ村や渋谷等、クラブが密集する地域には、クラブ・ファッションを発信するブティックが多数存在しますが、それらの服を着ていく場所(クラブ)が減った事で売り上げが激減し、その多くが閉店しました。摘発前までは22~24時頃まで営業しているブティックやカフェが多数存在しましたが、今では21時を過ぎるとかなり閑散とした雰囲気になっています。若者の文化発信地として機能していたクラブが摘発された事で、関連する全ての業界と文化が萎縮してしまったのです。その損失の大きさは計り知れません。

一斉摘発もそろそろ一段落かと思っていた矢先、アメリカ村とは別の地域である、大阪市北区中崎町のclub NOONが摘発されました。騒音等の苦情もなく優良な営業を続けていたクラブが摘発された。しかも警察が立ち入ったのは21時台でした。もはや深夜営業は摘発の根拠ではなく、まさに「ダンスをさせた容疑」そのものが摘発の根拠になりました。この摘発は、クラブユーザー、ミュージシャン、法律家等の間で問題視され、法改正の気運が一気に高まる事になったのです。

次回は「Let’s Dance署名とNOON裁判」について書く予定です。